JSflL6c_8x8Myer8_VK3_GaQ-GdEnbB_pONO8KXIzqo 千葉開府900年ってどういうことなのさ!? – 私の千葉県探索記録はざっくりとしすぎかもしれない

千葉開府900年ってどういうことなのさ!?

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千葉、という場所が生まれた経緯について知っていますか?

千葉の始まり「千葉氏」

時は平安時代後期、大治元年の6月1日にまで遡ります。
桓武平氏平高持の子孫である「常重(つねしげ)」は現在の緑区大椎町から中央区亥鼻付近に本拠地を移して
そこで初めて「千葉」と名乗りました。

そのため6月1日を「千葉開府の日」
そして2026年を「千葉開府900年」として位置づけています。

千葉氏の始まり「常重(つねしげ)」ってどんな人?

緑区大椎町に本拠を置いて活躍した大椎常兼の息子が常重です。
彼は1126年6月1日に現在の中央区亥鼻付近に本拠を移して「千葉」を名乗りました。

千葉氏を育てた「常胤(つねたね)」ってどんな人?

千葉氏の始まり、常重の子供である常胤は千葉氏の中興の祖とされ、鎌倉幕府の成立に大きく貢献した人物です。

1180年、石橋山の戦いに敗れた源頼朝が海を渡って房総に逃れてきた際にいち早く彼の味方をした常胤。
その後は一貫して頼朝を支え、鎌倉を本拠とするよう進言するなど筆頭御家人として活躍しました!
頼朝からの信頼も厚く、常胤を父のように慕っていたと言われています。

全国に参陣!「千葉六党(ちばりくとう)」

常胤は息子たちたちと共に「源平合戦」「奥州合戦」に参加し、その功績によって北は東北、南は九州まで全国に所領を獲得するほどの猛将でした。

その千葉六党と呼ばれるほど常胤の6人の息子たちは所領を分割して引き継ぎ、それぞれが本拠とした所領の地名を名乗りました。

  • 千葉六党
  • 胤正
  • 師常(相馬)
  • 胤盛(武石)
  • 胤信(大須賀)
  • 胤通(国分)
  • 胤頼(東)

青森県から果ては佐賀県にまで戦い、そして治めていたとは驚きですね。

どうしてコラボしたの!? 「千葉氏」✕「北斗の拳」

全国の所領を子孫が継承した「千葉氏」ですが北極星や北斗七星を信仰する「北辰(妙見)信仰」によって
強く結束していました。

・妙見信仰に関わる千葉氏

星空において不動の星、北極星は遥か昔「妙見(みょうけん)」として神格化されていました。
鎌倉幕府屈指の御家人千葉氏は、この「妙見」を全国に広がった一族の結束の象徴として特徴的な菩薩像と
ともに星を表す文様をあしらった建築や文化財を各地に残したのです。

「妙見」が軍神!?

世の中が激動の時代だったころ、千葉氏は当時関東に広まっていた妙見信仰と平将門の伝承を取り込んで
妙見を武士団の「弓箭神(きゅうせんしん)※1」とすることで一族の結束を図ったのです

※1:弓と矢の神=軍神

平家物語の異本「源平闘諍録」

千葉氏が平家物語を編纂した「源平闘諍録」には北天にあった妙見菩薩が戦場に現れ、勝利に導く軍神として描かれています。
そのため千葉の妙見は農耕神や鎮守神としての穏やかな菩薩の姿とは違って、北の守り神である玄武に乗り、甲冑を纏って剣を持った勇壮な姿で現れます。

・ちょっと豆知識

全国に広がった千葉氏の系譜にはあの「新渡戸稲造」さんもいますが、彼は好んで「月星紋」用いたようです。

知らないだけで、意外なあの人も千葉氏の系譜かもしれないと考えると、縁深いと感じますね

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